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扁桃体損傷による表情の認識障害(レビュー)


(だいたい「扁桃体損傷による情動表情の認識障害」(佐藤弥(2002): 感情心理学研究, 9, 40-49)にまとめてある内容です)


■はじめに

 扁桃体の損傷が恐怖表情の認識を障害するという知見は,近年の表情研究における最も大きな発見のひとつと言えよう.
 ここでは,この問題についてまとめてみる.
 以下では,扁桃体の解剖学的位置について述べ,先行研究についてまとめ,こうした知見が表情研究に与える示唆について考察する.


■扁桃体の解剖学的位置

 扁桃体は,側頭葉の内側に(2つ)ある,大きさも形状もアーモンドのような器官である.
 扁桃体は,感覚連合野(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・体性感覚)や前頭葉から入力を受ける.
 扁桃体は,自律神経の中枢や,行動を管理する脳部位,記憶を司る脳部位などに出力を送っている.

 感情とは,自分の現在の状態に基づいて外界を評価し,身体・行動・認知の反応を引き起こす処理だとされる.
 扁桃体のハードウェア(神経線維の入出力関係)は,まさにこうした処理を行うのにふさわしい.





■扁桃体損傷者における表情認識障害の研究

<両側損傷による障害>

 両側扁桃体を損傷した患者で表情認識に障害が見られることを最初に報告したのは,Adolphsら(1994, 1995)であった.
 彼らは,先天的な病気のために両側の扁桃体が損傷された患者SMについて実験した.
 SMは,知能はほぼ正常で,表情以外の顔の認知(人物判断など)は優れていた.
 実験では,基本6感情(喜び・驚き・恐怖・怒り・嫌悪・悲しみ)の表情や無表情の写真を呈示し,基本6感情の感情語にどのくらいあてはまるかを0-5点で評定するよう求めた.
 比較の対象として,扁桃体以外の脳部位に損傷を持つ患者や健常者についても,同じ実験をした.
 その結果,SMは,恐怖などいくつかの表情で,評定値に異常があることが分かった.
 健常群との相関を算出したところ,恐怖表情に対して特に低い相関値が示された.
 別の実験などから,SMでは,一つの表情に対して複数の情動を読み取る能力の低下も示された.



 表情認識の障害は,後天的に両側扁桃体を損傷した患者DRでも報告された (Youngら, 1995, 1996).
 表情写真のマッチングや,表情写真に対するラベリングで表情認知を検討したところ,成績が低かった.
 その障害は,刺激が動画でも静止画でも示された.
 表情を心の中でイメージすることにも障害があった.
 DRの障害は,別の患者SEとともにCalderら(1996)で詳細に検討された.
 表情のラベリングとともに,モーフィング表情(2枚の表情写真を合成して作る中間表情)を用いた課題が行われた.
 その結果,どちらの患者も,恐怖と怒り(特に恐怖)の表情の認識に障害があった.

 近年,多数例での研究もいくつか報告された.
 Broksら(1998)では,後天的疾病によって扁桃体を損傷した患者4名について,表情のラベリング課題を調べた.
 その結果,4名とも,恐怖表情の認識が低かった.
 Adolphsら(1999)では,9名の両側扁桃体損傷患者を対象として,感情語で評定する課題で表情認知を調べた.
 その結果,恐怖と怒りの表情の認識に障害があった.

 またその他の研究として,Adolphsら(1999)では,表情について「快か不快か」など大きな軸での評定を求めている.
 その結果,扁桃体損傷患者では,恐怖や怒りといった不快な表情の評価に障害があった.
 Andersonら(2000)では,表情の認知と表出の関係を調べた.
 その結果,扁桃体損傷患者は,表情を作ることはできるのだが,恐怖などの表情を認知することにはやはり障害があった.
 Satoら(2002)では,両側扁桃体損傷患者が恐怖や怒りの表情をどんなふうに間違えているのかを調べた.
 その結果,患者は,こうした表情を相対的に快な表情として認識していることが分かった.

<片側損傷による障害>

 片側の扁桃体だけ損傷した患者について,Adolphsら(1995)の最初の研究では,表情認知に障害はないと報告された.
 
 だがその後の研究で,片側でも障害があることが示された.
 例えばBroksら(1998)は,片側損傷の患者1名で恐怖表情の認識に障害があることを示した.
 Andersonら(2000)は,片側扁桃体のみ損傷した患者23名を対象として調べた.
 その結果,右半球の扁桃体損傷患者においては,不快感情(恐怖・嫌悪・悲しみ)の表情認識に障害があった.
 Adolphsら(2001)も片側損傷患者26名を調べた.
 その結果,右扁桃体損傷患者で不快(特に恐怖)の表情認識に障害があった.

<ネガティブなデータ?>

 扁桃体損傷による表情認知の障害については,ネガティブなデータも報告されている.

 そのひとつとしてHamannら(1996)は,両側扁桃体を損傷した患者2名で,表情を感情語で評定する課題を調べたところ,障害がなかったと報告した.
 Hamannら(1999)は,これらの患者で表情の類似性評定を調べても,異常がないとした.
 だがその後,Schmolckら(2001)がこれらの患者で,違う方法(ラベリング課題など)で調べたところ,恐怖などの表情に障害があることが分かった.
 
 また別のタイプのネガティブな研究として,Rapcsakら(2000)が挙げられる.
 彼らは,脳損傷患者63名を対象として表情のラベリング課題を調べ,扁桃体を損傷してなくても恐怖表情の認識が難しいことを示した.
 そこで,脳損傷(扁桃体でなくても)による全体的な能力低下で恐怖表情の認識が低下する可能性を訴えた.
 だがこれについては,2択の簡単な課題でも障害が起こることを示したCalderら(1996)やSatoら(2002)の研究が反証となると言える. 

<まとめ>
  
 研究を概観すると,ヒト扁桃体の損傷が恐怖を中心とした不快感情の表情の認識障害を招くことには,現状では強力な証拠があると言える.


■おわりに

 扁桃体損傷患者のこうしたデータは,健常者の表情認知を考える上でも示唆を与えてくれる.

 例えば,我々の脳に特定の感情の表情を処理する特定の神経システムがあることを教えてくれる.
 感情研究ではこれまで,個々の感情(恐怖とか喜びとか)ごとに別々のシステムがあるのか,1つの統合的感情システムがあるのか,未解決の問題とされてきた.
 扁桃体損傷患者の研究は,恐怖(を中心とした不快感情)の表情を処理するシステムが,他の感情のものとは分離して存在することを強力に訴える.

 また,表情の認識障害を招く扁桃体が,恐怖の身体反応や主観的経験にも関与する器官である点も興味深い.
 感情認知と感情経験のシステムが,オーバーラップしていることが示唆される.
 ヒトは,他者の表情認識において,自動的に自身の感情反応・感情体験システムを駆動しているのかもしれない.
 
 扁桃体損傷患者の研究から得られた知見を手がかりに,ヒトの表情認知メカニズムの探求がさらに進むことが期待される.



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